Hallelujah/隊長のあとつぎ
2001年12月24日ハレルヤ。
21日。学校のクリスマス礼拝があり、
いつものように我が聖歌隊の奉仕である。
歌う事は私にとって幸せだ。
体調を崩してもう数週間だけれど、
この一週間は特に精神面でバランスが悪かったのが
唯一痛かった。
朝早くからの練習、そして午前高校、午後中学と
二回の奉仕。
幸せだ。けれど、昼食時調子が悪くなった。
胃を悪くしているようで弁当が多くスカートがきつかったのと、
突如訳もなく沢山の事を思い出して、
自分の中でパニックになって泣き出してしまった。
すすり泣き程度で、同学年の仲間達以外には
気づかれずに済んだ(もしくはそのふりをしてくれていたのかもしれないが)。
けれど、
自分が壊れてしまっていることを実感した。
奉仕の日に泣くのは何度目だろう。
衣装を忘れては泣き・・・
しかし、午後の奉仕の方が声がよく出せていた気もする。
感情解放ってそんなものなのか。
中学の礼拝にはもちろん出席もする。
学年ごとの合唱もあり、今年の中三は「荒野の果てに」
去年だか一昨年だかのヤマザキのCMの、あの曲だ。
私の大切な友達のひとりが、指揮者として立つ事になっていた。
彼女は充分に上達していて、とても格好良かった。
正直に言うと、私は合唱に参加できなかった。
隅のほうで小さくいさせてもらった。だるさと寒気が、立っていることを不安にさせた。それに、私は
練習にもろくに参加出来ていなかった。和を乱してしまうような気がしていた。
心の中で、そっと歌うことが出来るだけで満足だった。じっと指揮を見た。
どの学年の合唱も綺麗だった。
実は、隊内においても同じ気持ちを抱いていた。
練習に参加もできずに、
コンサートで一度は歌った曲とはいえ
それまで四ヶ月かけて練習したとはいえ
直前の一週間の練習に参加も出来ずに
一緒に歌っていいのだろうかと、
・・・歌う瞬間でさえそんなことを思っていた。
迷いがある。
私とともにいつも迷いがある。
しかし、学年合唱が終わって仲間たち皆が
舞台裏へ集合する時、
私も立った。立つ事が出来た。立たずにはいられなかった。
どうしても、歌わずにはいられなかった。
歌えなくても。
和を乱して、しまったとは、思う。
その夜、大きな教会で友達のひとりと共に
前の指導の先生が参加して歌われる
メサイアの抜粋のコンサートを観に行った。
数曲、その最後に、有名なハレルヤ・コーラス。
この曲は今朝高校の礼拝で
高校生が全校で合唱した曲であり
また私たちが来る三月、卒業式で歌うべく
音楽の時間に練習を積んでいる曲でもある。
教会の方々の合唱は素晴らしかった。
迫力があった。声が迫ってきた。とても少人数だったにもかかわらず。
遠くまで足を伸ばした甲斐があったと思った。
これを、今度は自分達が歌う。
どきどき、鼓動を感じた。
私はこの卒業式で指揮をするのが夢だった。
これは叶えられるのだろうか?
Hallelujah.
先生に、目を留め、声をかけて頂いて嬉しかった。
私たちを覚えていてくれたという、
また私たちがそこにいることを悦んでくれたという
ただそれだけの、一見当然の事が嬉しかった。
隊長の任期が終わろうとしている。
例年なら中学聖歌隊の引退式は
二月に行われることになっている。
あとつぎは決まった。
もっとも、なり手が他にいないという理由。
本当なら、やりたくないと思うのも当然だろう。
しかし彼女はやると言ってくれた。
どこまで行けるのか、それは彼女しか知らない。
いや、彼女だって知らない。
それは導いて下さる神様のみご存知なのだろう。
思えば、私は隊長なんて立派なものではなかった。
後輩たちに口をすっぱくして言っていた事を
先頭切って破っていたのは誰だったのか、今更気づいた。
申し訳ない。付いてきてくれた皆には本当に返す言葉が無い思いだ。
情けない・・・
しかし、すごすごと逃げる訳にはいかない。
駄目な奴、失敗作だったからこそ、堂々として
最後まで批判されながら退くのがいちばん良いのだと思う
(それを受けて彼女たちは上手くやっていくと思う)
引退式までは、せめて堂々といたい。
泣き虫なところは何度も見せてしまった、
それも大きかった欠点のひとつだけれど。
今日はクリスマス・イヴ。
教会に行けるかどうか・・・
天には栄え、地には平和あれ。
いつ、どんなときにも、どこにも。
欠点の無いものなどありえないのだから。
ハレルヤ。
21日。学校のクリスマス礼拝があり、
いつものように我が聖歌隊の奉仕である。
歌う事は私にとって幸せだ。
体調を崩してもう数週間だけれど、
この一週間は特に精神面でバランスが悪かったのが
唯一痛かった。
朝早くからの練習、そして午前高校、午後中学と
二回の奉仕。
幸せだ。けれど、昼食時調子が悪くなった。
胃を悪くしているようで弁当が多くスカートがきつかったのと、
突如訳もなく沢山の事を思い出して、
自分の中でパニックになって泣き出してしまった。
すすり泣き程度で、同学年の仲間達以外には
気づかれずに済んだ(もしくはそのふりをしてくれていたのかもしれないが)。
けれど、
自分が壊れてしまっていることを実感した。
奉仕の日に泣くのは何度目だろう。
衣装を忘れては泣き・・・
しかし、午後の奉仕の方が声がよく出せていた気もする。
感情解放ってそんなものなのか。
中学の礼拝にはもちろん出席もする。
学年ごとの合唱もあり、今年の中三は「荒野の果てに」
去年だか一昨年だかのヤマザキのCMの、あの曲だ。
私の大切な友達のひとりが、指揮者として立つ事になっていた。
彼女は充分に上達していて、とても格好良かった。
正直に言うと、私は合唱に参加できなかった。
隅のほうで小さくいさせてもらった。だるさと寒気が、立っていることを不安にさせた。それに、私は
練習にもろくに参加出来ていなかった。和を乱してしまうような気がしていた。
心の中で、そっと歌うことが出来るだけで満足だった。じっと指揮を見た。
どの学年の合唱も綺麗だった。
実は、隊内においても同じ気持ちを抱いていた。
練習に参加もできずに、
コンサートで一度は歌った曲とはいえ
それまで四ヶ月かけて練習したとはいえ
直前の一週間の練習に参加も出来ずに
一緒に歌っていいのだろうかと、
・・・歌う瞬間でさえそんなことを思っていた。
迷いがある。
私とともにいつも迷いがある。
しかし、学年合唱が終わって仲間たち皆が
舞台裏へ集合する時、
私も立った。立つ事が出来た。立たずにはいられなかった。
どうしても、歌わずにはいられなかった。
歌えなくても。
和を乱して、しまったとは、思う。
その夜、大きな教会で友達のひとりと共に
前の指導の先生が参加して歌われる
メサイアの抜粋のコンサートを観に行った。
数曲、その最後に、有名なハレルヤ・コーラス。
この曲は今朝高校の礼拝で
高校生が全校で合唱した曲であり
また私たちが来る三月、卒業式で歌うべく
音楽の時間に練習を積んでいる曲でもある。
教会の方々の合唱は素晴らしかった。
迫力があった。声が迫ってきた。とても少人数だったにもかかわらず。
遠くまで足を伸ばした甲斐があったと思った。
これを、今度は自分達が歌う。
どきどき、鼓動を感じた。
私はこの卒業式で指揮をするのが夢だった。
これは叶えられるのだろうか?
Hallelujah.
先生に、目を留め、声をかけて頂いて嬉しかった。
私たちを覚えていてくれたという、
また私たちがそこにいることを悦んでくれたという
ただそれだけの、一見当然の事が嬉しかった。
隊長の任期が終わろうとしている。
例年なら中学聖歌隊の引退式は
二月に行われることになっている。
あとつぎは決まった。
もっとも、なり手が他にいないという理由。
本当なら、やりたくないと思うのも当然だろう。
しかし彼女はやると言ってくれた。
どこまで行けるのか、それは彼女しか知らない。
いや、彼女だって知らない。
それは導いて下さる神様のみご存知なのだろう。
思えば、私は隊長なんて立派なものではなかった。
後輩たちに口をすっぱくして言っていた事を
先頭切って破っていたのは誰だったのか、今更気づいた。
申し訳ない。付いてきてくれた皆には本当に返す言葉が無い思いだ。
情けない・・・
しかし、すごすごと逃げる訳にはいかない。
駄目な奴、失敗作だったからこそ、堂々として
最後まで批判されながら退くのがいちばん良いのだと思う
(それを受けて彼女たちは上手くやっていくと思う)
引退式までは、せめて堂々といたい。
泣き虫なところは何度も見せてしまった、
それも大きかった欠点のひとつだけれど。
今日はクリスマス・イヴ。
教会に行けるかどうか・・・
天には栄え、地には平和あれ。
いつ、どんなときにも、どこにも。
欠点の無いものなどありえないのだから。
ハレルヤ。
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